<私・小野の事務所Fb,Blogの更新記事に関連して…ちょい長文>
建物を利活用する際にまず最初に行うこととして、「事前調査」があります。
言い換えれば「過去の記録・経緯の確認」です。
いつ、だれがどのように考え、どんな仕様で、どうつくられているか?の確認です。
具体的には、申請関係書類、保存図面、計算書関係、工事写真記録などです。
それらを現状と照らし合わせて状況把握をし、計画立案の基礎にします。
これが有るのと無いのとでは、検討にかかる手間が大きく変わってきます。
案外こうした記録が残されていない場面に遭遇し、活用をあきらめざるを得ない事が多くあります。
最近の建築は、検査済証の取得率も上がり、改善されてきてはいると思います。
それでも、例えば建売住宅3階建ての場合、購入時に、図面や記録、構造計算書などの引継ぎがされていない場合もあり、転売の際などもこうした記録が引き継がれていないケースも少なくありません。
どうしてそんな大事なものを保存しておかないんだろう
(あるいは自らの仕事上、記録報告等をきちんとお渡ししないのだろう)
と思ったりするわけです。
自分たちが住めさえすればいい…といった感覚があるのか。
住宅を商品を買うかのような消費物としてとらえているからなのか…。
自分たちが使わなくなった後の事など考えていないからなのか…。
でも…その感覚を改めない限り、どんな高性能・高耐久な住宅をつくっても、結局は利活用されにくいのは変わらない…、特に用途変更などによる活用はやっぱりハードルが高くなるような気がしてならないわけです。
最近思うのは、世相との関係性です。
国を運営する国会等の議事録、会議参加者などの記録の隠蔽・改ざん…。
計画づくりの基礎となるデータに偏りがあったり、そもそもデータ自体が無いものにされたり、改ざんも…。
立案のための「過去の記録・経緯の確認」が軽視される中、物事を進めても大した問題ではない(進まないより進んだ方がまし)、とされる空気感が日本中に垂れ流されているような気がするのです。
「過去の記録・経緯の確認」は物事を始めるにあたり何より大事なはず。そこを政府が率先して、世相を正常化していってもらわないと…。
住宅の利活用に関わる時、この部分がどうしても重なってしまうわけなのです。
「一時的に良ければ後のことは知らなくていい」、「次の人の自己責任」…。
この感覚が変わらなくては、いくら緩和策をつくっても、いろんな資格制度をつくっても、
本質的には変わらないのではないか…。
そんなことを思うと、ちょっと憂鬱な気分になるわけなのです…。
永く、大切に、住み手が移り変わっても、用途が変化しても、街並みに根付いて、
それが建築文化となっていけると、地域性の回復などにもつながっていくのではないかなと思ったりするわけなのです…。
かしこ…^^;。
S.Ono
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